お漬物は自家製しかなかった時代。
今はお漬物は買うのが普通で、家でぬか漬けでも漬けていようものなら
「すごいね~!」と尊敬されかねない時代になってしまった。
昔は梅干しやらっきょうは自宅で漬けるのが普通で、
お味噌だって各家庭で作っていたから、
調味料で買うのは
お醤油、
お砂糖、
お塩、
菜種油とごま油
赤唐辛子
位だったような気がする。
冷蔵庫はあるにはあったけれども、今のような電気で動く冷蔵庫ではなくて、
必要な時に氷屋さんが大きな氷を運んできていたような記憶がある。
台所は土間だったし、
お風呂はギッタンバッコンとポンプを漕いで子供たちでバケツリレーで運んでいました。
お風呂は当然ながら「五右衛門風呂」
浸かるのにちょっとしたテクニックが必要。
浮いている木の板をうまく踏んで入らないととんでもないことになる。
だって、五右衛門風呂は下から直接薪で焚くからとっても熱いんです。
おまけに外にあるから冬場はあまり使っていなかったような?
近所にあるお風呂屋さんへ行っていた記憶が・・・あるけど、毎日じゃなかったな。
小学校に上がる前に家が新しくなって、お風呂も五右衛門風呂から釜焚きのお風呂になって、薪と石炭で沸かすようになった。
役目は相変わらず子供たちでしたが、お水が水道で入れられるようになったから、みんなでやっていたバケツリレーはなくなりました。
それと同時に、毎日洗濯板でゴシゴシ洗っていたのが、洗濯機が来たおかげでたらいで洗濯とはお別れ!
最初の洗濯機は脱水が手動でしたね。
ハンドルをぐるぐる回すのが面白くて、そこだけはお手伝い指定ましたが、一枚ずつローラーに挟んでグルグル回すのは結構手間も時間もかかるから母は使っていなかったような?
でも洗濯板でごしごししなくて済む分母は少しは楽になったのかな?
かまどの横に大きなガスの調理台がやってきて、薪でご飯を炊かなくなったのはいつごろからだったのか?
もう記憶にありませんが、町内のお祭りの時などは、かまども全部総動員してお饅頭
蒸かしたり、お赤飯蒸かしたり、女たちはとっても大変だったみたいです。
子供たちはとっても楽しかったと思うんだけど、かなり邪魔にされていたような?
今ではお祭りもなくなり、住民も入れ替わり、近所付き合いも無くなり、寂しくなってしまいました。
昔の暮らしは大変だったと思うけれど、大変なぶんご近所の交流も密で、子供たちも安心して外で遊べていたと思う。
保存料は砂糖と塩のみ。
あとは干すか地中に埋めるか?
お漬物もカビの心配があるからやっぱり大変だったんだろうなあ。
今は冷蔵庫や冷凍庫があるし、保存料で長期保存もできる便利な世の中になったけれど、便利の代わりに失ったものの方が大きいような気がします。
もっとお婆ちゃんの知恵を聞いておくんだったなあ。
今更だけど・・・・。