昭和生まれのお婆ちゃんの今は昔の物語

つい昔はね〜と言ってしまい、子供達から時代が違うと言われてしまいいじけてしまいそうになる事を徒然なるままに書き綴って行く今は昔の今昔物語

何を買うの?持たされたのはバケツ一個と一円玉一枚。

今から60年ほど前の話
 
お使いでたまにおからを買いに行かされた。
当時の私は多分四歳か五歳。
 
持たされたのはバケツ一個と一円玉一枚。
 
まだお金の価値が良くわかっていなかったと思うけれど、一円で買えるのはお菓子の「雀の卵二個」という事は分かっていたから、
 
一円でバケツ一杯のおからが買えるという事は結構衝撃的だった。
 
おからは豆腐を作った後にでる搾りかすだから、確かに商品としての価値は低かっただろうし、日持ちもしないから安く大量に買えたんだと思う。
 
我が家は大家族で父親は9人兄弟の長男。
一番末の弟は25歳離れていたから、
 
従妹と叔父さんおばさんの区切りがない感じで、
みんな名前で呼んでいました。
 
少ない日は15人、多い日は20人近い人数がひしめき合っていたんですね。
 
その人数分の食事を用意するのだから、
おからもバケツ一杯必要だったのだと(笑)
 
今は一円で買えるものなんてなくなりましたね。
 
なのに何故卵の値段は変わらないのでしょうか?
最近はワンパック100円で売られることはなくなりましたが、
それでも100円台の値段で売られています。
 
おからも最近は見直されてきました。
 
そろそろ卵も本物を食べる時期になってきたのではないでしょうか?
 
昔一個10円で売られていた有精卵なら
一個100円の価値があると思いませんか。
 
物の価値を見直すのも
風の時代のなせる業なのかもしれませんね。

うん○がつく!は、運がつく!!

昔、私がまだ小学生だった頃。

土手を歩いていると、よく馬や牛に出くわした。

球磨川沿いの土手は草の宝庫!
草を食んでいる姿もよく見かけた。

今 ではもう見ることは出来ないけれど、田舎じゃよく見る風景だったわ。

たまにだけど学校帰りに馬の糞を踏んづける事が!

足元なんか見ちゃいないから、あっと思った時はもうあとの祭り。

糞と一緒に帰る帰るしかない。

家に着いたら、中には入らず母を呼ぶ。

母は臭いで全てを察知!(笑)

裏庭で下駄に履き替えさせて裏の小川で靴を洗ってくれてたわ。

ゴム手なんか無かったから、素手でたわしでゴシゴシやっていたんだと思う。

その時いつも日母が言っていた言葉が

「運がついたから明日はきっと良いことある!」

そう言って慰めてくれてた。

だけど、今から思えば、
母は自分に言っていたんじゃないかと!

昭和30年代。
まだ戦後の名残もある時代。

父は長男で、兄弟姉妹も多かったから、
決して生活は楽ではなかったと思う。

母と祖母が、日銭稼ぎに、縁側でむしろを打っていたのを覚えている。

バケツ1杯のおからが一円で買えた。

銭という単位は無かったけれど、スズメの卵というお菓子は元値が1個50銭だったから二個で一円で売られていた。

多分母達がむしろを売って稼いだお金が、たまにくれるお小遣いの原資だったんじゃないかな!

って、今だから思う。

たまに貰った10円を握りしめて、お店へ一目散!

大好きなスズメの卵を20個、小さな紙袋に入れてもらって喜び勇んで帰ってたわ(笑)

その頃の100円はお札で、50円玉は確か鳳凰の絵が入った大きな硬貨だった。

今とは単位はおなじでも、価値はかなり違うから、10円と言えど私には大金だったよ。

その頃の卵も1個10円

卵は高価な食べ物だったのが、今まではスーパーの安売り商品に!

大量生産するようになって良かったのか悪かったのか?

昔の卵は有精卵だったけれど、今の卵は無精卵だから、ひなは生まれない。

もしかしたら私たちか食べている卵は本当の卵じゃないかも??

つくしんぼ

昔々といっても5、60年ほど前(半世紀以上前だね笑)だけど、

 

春は土手に土筆を取りに行っていた。

 

f:id:happyhimawari0111:20200630085020j:plain

 

メンバーはいつも母と弟と私の3人。

 

お弁当を持って近くの土手へ行って、

ひたすら土筆を取る。

 

別に何があるわけじゃない!

ただ土筆を取るだけ。

 

母は土筆の他に勝手に生えてるゼンマイやワラビとかも取っていた。(と思う)

 

籠いっぱい取ったら休憩。

 

楽しみは母の作ったお弁当。

普段はおにぎり。

たまーにだけど、当時にしてはとっても珍しいサンドイッチが竹籠に入っていることがあった。

 

今にして思えば、ハイカラなサンドイッチを小姑に隠れて私たちに食べさせたかったのかな?

 

母の愛??

 

お弁当を食べたら速攻帰宅。

 

f:id:happyhimawari0111:20200630091524j:plain

 

子供の足でも15分 とかからない距離だから、

小さい弟も元気に歩いていたなあ。

 

五歳になる孫は歩けるかな?

最近はコロナのせいでお家でゲーム三昧。

家族全員運動不足だわ!!

 

家に着いたら、早速土筆のはかま取り!

これを取らないと美味しく調理ができないのだ!

 

この作業は面白いんだけど、ず〜っとやってると・・・飽きるσ(^_^;)

 

はかまを取り終えたら、水を張った大きなタライに土筆を入れていたけど、この作業はアク抜き?

 

 あとは母が一人でやっていたからどうやって土筆の佃煮が出来上がったかは不明。

 

明治生まれのお爺ちゃんが麦ごはんを推奨していたので、白米に麦が混じっているのが通常だった。

 

今の麦は美味しいけれど、昔の麦ごはんは美味しくなかった。

だから、甘辛く煮た土筆の佃煮があると嬉しかったなあ。

 

母がたまにこっそり白米だけで炊いてくれた時は超嬉しかったらしく

 

「おかずは要らない!」

 

と言ってバクバクご飯を食べていたらしい。

 

多分おかずもしっかり食べていたとは思うけど、

今の米好きはこの頃から培われていたのかもね(笑)

 

今はレンゲの花も土筆もほとんど見ることはなくなってしまったなあ。

 

今はとっても便利な時代になったけれど、

 

自然に囲まれて、

裸足で駆け回れた時代は、

子供の成長にはとっても良かった気がする。

 

今キャンプが大流行なのも、きっと心が自然を求めているからかもしれませんね。

 

キャンプはしたいけど虫は苦手という方はご用心!

 

自然がいっぱいのキャンプ場には、大小様々な虫たちが混在していますから

覚悟してお出かけくださいね。

 

f:id:happyhimawari0111:20200630084932j:plain

 

お漬物は自家製しかなかった時代。

今はお漬物は買うのが普通で、家でぬか漬けでも漬けていようものなら

 

「すごいね~!」と尊敬されかねない時代になってしまった。

 

昔は梅干しやらっきょうは自宅で漬けるのが普通で、

お味噌だって各家庭で作っていたから、

 

調味料で買うのは

 

お醤油、

お砂糖、

お塩、

菜種油とごま油

赤唐辛子

 

位だったような気がする。

 

冷蔵庫はあるにはあったけれども、今のような電気で動く冷蔵庫ではなくて、

必要な時に氷屋さんが大きな氷を運んできていたような記憶がある。

 

台所は土間だったし、

お風呂はギッタンバッコンとポンプを漕いで子供たちでバケツリレーで運んでいました。

 

お風呂は当然ながら「五右衛門風呂」

 

浸かるのにちょっとしたテクニックが必要。

 

浮いている木の板をうまく踏んで入らないととんでもないことになる。

 

だって、五右衛門風呂は下から直接薪で焚くからとっても熱いんです。

 

おまけに外にあるから冬場はあまり使っていなかったような?

 

近所にあるお風呂屋さんへ行っていた記憶が・・・あるけど、毎日じゃなかったな。

 

小学校に上がる前に家が新しくなって、お風呂も五右衛門風呂から釜焚きのお風呂になって、薪と石炭で沸かすようになった。

 

役目は相変わらず子供たちでしたが、お水が水道で入れられるようになったから、みんなでやっていたバケツリレーはなくなりました。

 

それと同時に、毎日洗濯板でゴシゴシ洗っていたのが、洗濯機が来たおかげでたらいで洗濯とはお別れ!

 

最初の洗濯機は脱水が手動でしたね。

ハンドルをぐるぐる回すのが面白くて、そこだけはお手伝い指定ましたが、一枚ずつローラーに挟んでグルグル回すのは結構手間も時間もかかるから母は使っていなかったような?

 

でも洗濯板でごしごししなくて済む分母は少しは楽になったのかな?

 

かまどの横に大きなガスの調理台がやってきて、薪でご飯を炊かなくなったのはいつごろからだったのか?

 

もう記憶にありませんが、町内のお祭りの時などは、かまども全部総動員してお饅頭

 蒸かしたり、お赤飯蒸かしたり、女たちはとっても大変だったみたいです。

 

子供たちはとっても楽しかったと思うんだけど、かなり邪魔にされていたような?

 

今ではお祭りもなくなり、住民も入れ替わり、近所付き合いも無くなり、寂しくなってしまいました。

 

昔の暮らしは大変だったと思うけれど、大変なぶんご近所の交流も密で、子供たちも安心して外で遊べていたと思う。

 

保存料は砂糖と塩のみ。

 

あとは干すか地中に埋めるか?

 

お漬物もカビの心配があるからやっぱり大変だったんだろうなあ。

 

今は冷蔵庫や冷凍庫があるし、保存料で長期保存もできる便利な世の中になったけれど、便利の代わりに失ったものの方が大きいような気がします。

 

もっとお婆ちゃんの知恵を聞いておくんだったなあ。

 

今更だけど・・・・。

f:id:happyhimawari0111:20200629115756j:plain

 

 

 

田舎の白和えは何故美味しい!

先日法事の為に田舎へ帰省した時に兄嫁が作ってくれた白和え!!

 

久しぶりに食べたけど相変わらず美味い!!

 

材料が特別なわけではないのに何故か美味しい。

 

作り方も特に違うわけでもないのに美味しいのは何故??

 

ちなみに作り方は

 

すり鉢に炒りごまをたっぷり入れてスル

 

すりゴマを使っても良いんだけど、

やっぱり香りが違うんだなあ〜!

 

ちなみに、炒りごまをフライパンで軽く煎ってから使うとなお良いみたいです。

 

そういえば、お婆ちゃんは洗いゴマを煎ってから擦ってたなあ〜…。

 

胡麻の風味を立たせるには煎りなおすのが一番みたい。

 

調味料は味噌と砂糖と味醂とお塩

お塩以外はほぼ同量で、最後にお塩で味を極める。

 

野菜は、ほうれん草と人参とこんにゃくは入れたい!

 

彩りもイイ。

 

すり鉢でたっぷりの胡麻をしっかり擦ったら調味料を入れて更に擦り混ぜ、そこに水切りした豆腐を投入!

 

すりこ木で豆腐をつぶしながらすり混ぜる。

 

調味料と豆腐がよく混ざったら、具材を投入。

 

木べらでまんべんなく良く混ぜたら出来上がり!

 

でも、何故か分からないけど、

私が作るより義姉さまが作るとより美味しいのです。

 

だから、帰省したら作ってもらう定番料理!

お義姉さん、ご馳走様!

 

また次回も楽しみにしています。

f:id:happyhimawari0111:20170719222343j:image

尚子おばあちゃんのランドセル今昔

来年初孫が小学校に上がります。

ま、当然のように
「おじいちゃんランドセル買ってね!」
と娘に言われる訳です。

 

まだ新学期始まったばかりなのに、もう!?

 

と訝ったものの、

可愛い孫の為ならばなけなしのお金をはたいてランドセルを買ってやらねばとランドセル工房巡りが始まりました。

 

昔は色も赤と黒しかなかったから

男の子は黒、女の子は赤で

あえて選ぶ必要もなかったなあ。

 

今は色もデザインもカラフルですねぇ(苦笑)

 

さて、選びのポイントと重要度は、

☆ 背負った時の軽さ
☆ ハンドルの可動の具合
☆ 持ち手が付いているか
☆ ファスナー付きのポケットの使いやすさ
☆ 素材
☆ 好みの色、デザイン
☆ 価格

と上から順に検討しました。

よくコマーシャルで見る、天使の羽やカルちゃんランドセルなどスーパーに置いてある物は一通り試着してみてから、

老舗のランドセルを基準にして他のランドセルと比較しようという事になり、

先ず最初に行ったのは西新井にある有名どころの土屋鞄へ!


まだ6月だというのにお店中は人だかり!

店員さん曰く
「今日は少ない方ですよ。」

確かにそうなの
かもしれない…

何故ならお店の入り口にはディズニーランドの行列を想わせる並ぶ矢印が書かれていました。

はあぁ~∑(゚Д゚)

ランドセル選びがこんなに大変な事になっているなんて驚きです。

更に驚いたのが、

注文の仕方!

ウェブだと先行予約が出来るのですが、

ランドセルのデザインによって注文できる日時が決まっているのです。

日にちだけではなく、時間も限られていて
それを逃すと注文すら出来なくなる。

ママさん達が色めき立つ訳です。

6年間使うものだから少々値が張ってもいい物を買ってあげたいという親心を見事にとらえた
年に一度の大仕事!!

うちの孫は身体が小さいので昔ながらのデザイン、サイズの土屋鞄のランドセルは

作りは丁寧で、見た目のデザインもグッド!

背負った姿も悪くない!

でも、A4ファイルが入らないのと、
背負わせてみたら「重い」

ファスナーポケットが小さい。

娘が使ったランドセルよりも小さく感じたのは気のせい!?

しっかりした作りなのは間違いなし!

価格は、高い!!


次に行ったのは
池田屋ランドセル銀座店」

ここも有名どころです。

背負った感じは土屋鞄より軽い!

作りはA4ファイルが入るようにサイズを大きくしたそうですが、ファスナーポケットは普通の作りでした。

価格はかなり抑えてある気がしました。


3番目に行ったのは池袋にある神田鞄

ここは以前はバッグを作っていたそうですが、
今はランドセル専門になったそうです。

ここの特徴はフルオーダー。

本体だけでなく、糸の色、ステッチのデザイン、その他諸々全部指定できます。

背負った感じは池田屋ランドセルとあまり変わらない。

子供の言う事ですからあまりあてにはなりませんが、重さを見てみたら確かにほとんど同じくらいの重量でした。

価格は、オーダーだけあって安くありませんが、六年間使う事を考えれば気に入ったランドセルを作ってもらえるのは悪くない!

注文しても、2週間後に送られてくる商品見本写真を見て気にいって代金を振り込めば本申し込みになり、変更も止めることも出来たので、数量限定だと言うので、とりあえず申し込むことに。

でも、全部の色柄が決めるのはなかなか大変!
おまけに「その組み合わせでホントにいいの?」と思うような色を選ぶ場面もありかなり時間がかかりました。


最後に行ったのが、キッズアミ!

コマーシャルもしないし、お店にも卸していないみたいなのでほとんど知られていない!?

使ったママの口コミ情報で見つけました。

商品は有名どころと比較しても全く遜色なし!
A4ファイルも余裕で入るし、

何より気になっていたファスナーポケットのデザインが違う!

 

他と違って、サイドまでファスナーが付いているので取り出しやすく収納力もバッチリ!

重いからと諦めていた本革のランドセルが、
背負ってみたら意外と軽い!

重量を見てみたら、ホントに軽くてビックリ!

価格は有名どころよりかなり安い!

本人も気に入り、ママが希望するランドセルに出会えました。


ランドセルがいっぱいありすぎて、悩みましたが、

値段が高いからいいというわけでもなく、

安いからダメというわけでも無いのは間違いないですね。

 

ブランド志向の方には不向きですが、OEMでかなり安く良いランドセルもあります。

 

通販で買えばかなり安い商品もあったのですが、試着が出来ない!

 

試着してみないと選べないというので通販のみの商品は泣く泣くパスしました。

 

通販専門のランドセルでも試着展示会というのがあるのでそれを利用すれば、試すことが出来ます。

私はそんな事も全く知らず、試着会はすでに終わっていたのでとても残念でした。

3年後は通販専門のランドセルも試着会に行ってみたいと思います。

 

昭和32年の春まだ寒い頃に私は親と一緒にデパートに買いに行った記憶があります。

 

その時だけはデパートのレストランでお子様ランチを食べさせて貰えたのが嬉しくてたまらなかった。

 

今から半世紀以上前でも、ランドセルは高かった気がする!

ランドセルは入学祝いだったなあ。

 

机はお下がりだったし、新品なのはランドセルと筆箱とお下がりで貰えなかった学用品。

 

うちは貧乏ではなかったけど、今みたいになんでもかんでも買ってもらえる時代ではなかった。

 

一般家庭では、使えるものは直して使うのが当たり前だったし、お下がり貰うのが普通だった!

 

今は断捨離するのが流行する一方で、

Motainaiが世界共通語になっている。

 

日本は一体どっちに向かっているんだろう!?f:id:happyhimawari0111:20170614012722j:image